日記2010 :父のこと3

2010年3月18日

父の通夜から、早いものでもう1週間が過ぎました。

久し振りに会った父は、棺の中に横たわっていました。とても穏やかな顔で、口元は笑っているようにも見えました。
前日、納棺師の方が来て、綺麗にお化粧してくれたそうです。

2月の終わりに両肺が機能しなくなった父に、延命措置を行うかどうか、病院側から家族に打診がありました。以前から、そんな状態になってまで生きていたくないと言っていた父だったので、家族は延命措置はしないことを決めました。ただ癌などと違い、余命がいくらかとは、肺の場合は言えない。急変するかもしれないし、意外と大丈夫な時もある、と。
「妹は海外にいるので、すぐに呼べません」
兄はそう言って、母も私に、その時はその時だから、あんたは自分の生活をしっかりしなさい、と言われました。

急変、それは肺が機能しなくなったために痰がたまり、それを自ら吐き出せないという、中からの窒息、呼吸困難。それはすぐにやってきました。しかし父はそれを乗り越え、次の日には「あれは何だったの?」というくらいケロッと元気になったそうです。
「この分なら大丈夫かも知れない...」
母が言い、私も希望を持ちました。柄にもなくブログに願い事が叶うゲームなんて載せて、父の回復を祈りました。
次の日、また急変。それも父は乗り越えました。痰を取り出すのは鼻から器具を入れるそうで、とても苦しいらしく、声を荒げたことなどほとんどない父が、
「殺してやる」「化けて出てやる」
と看護婦さん達を罵ったそうです。そして疲れたのか、次の日はうとうとと寝てばかりだったと。

亡くなった日。父は朝から元気で、母や兄とも会話をし、最後の言葉は、
「ボールじゃないよ、タオルだよ」
ボールと聞き間違えた母に、タオルを取って貰い、自ら額の汗を拭いたそうです。その直後の急変、父はもう戻ってきてくれませんでした。
最後の数時間は苦しむこともなく、酸素の低下により徐々に内臓機能が低下、静かに、眠るように亡くなったそうです。

入院中の父。
枕が合わず、眠れないと言って、自宅でずっと使っていたテンピュールの枕を持ち込む許可を貰ったと言っていました。これは私がアメリカからお土産に買っていった物で、初めて使った次の朝、「これはすごく良い。首の痛みが無くなった」ととても喜んでずっと愛用していた物でした。
「娘がくれた枕で、100万くらいする」
と医師や看護婦さんに冗談を言っていたそうです。

また、以前お世話になった医師が顔出しに来てくれた時、いきなり握手を求め、
「ありがとうございました」
とお礼を言ったと。何か、感じる物があったのでしょうか。

家に帰りたくて帰りたくて堪らなかった父は、亡くなる前日の夜、母が「じゃあ、今日はもう帰るね」と言ったら、手を差し出し、
「(自分も)帰る。タクシー呼んで」
と言ったそうです。どんなに家に帰りたかったのか。その願いを叶えてあげられなかったことだけが、本当に、本当に無念です。

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